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夢野八幡神社について

 当社は、平清盛の福原新都造営にさきがけ、新都の守護神として治承元年(1177年)に創祀されたと伝えられる。

 平清盛が、保元平治の乱が終わった翌年(1161年)から承安三年(1173年)にかけて、兵庫に一大港湾を建設した。兵庫の輪田(和田)に灯駕篭台(灯台)を造って船舶の夜間航行に便を図り、ここに立派な貿易港を造り上げた。

 仁安二年(1167年)五月、太政大臣を辞し、翌三年二月出家して入道浄海と称し、神戸・シオン福原(雪之御所)に別邸を構え、来住したが、政治の実態は福原にあった。

 安元二年(1177年)四月、京の都で大火災が発生し、都の三分の一を消失すると共に 引き続く飢饉で京は荒れ果てた。

 清盛は復興が遅々として進まぬのに嫌気がさし、急遽八月四日に都を神戸・福原に 移す決定をなし、年号を「冶承」とした。

 清盛は自分の荘園・福原荘に新都<東西十町、南北十五町の条里>を計画、福原荘全域が展望できる当神社境内において「のろし」を上げ、新都の位置を測定し、条理を決めたものと考えられる。そして都の繁栄を祈願して、この地に八幡大神を創祀したのであろう。

 

       祭神 : 応神天皇
​    大祭 :  1月18・19日

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